私たちはご先祖様のお陰を頂いて、今、ここに生かされています。
この大切な、何物にも変えがたい、かけがえのない命を後々の代まで繋げたいというのは、
これは、私たちの本能的な願望です。
その証明が、今の私たちの存在そのものだと思っています。
先祖は私たちの繁栄を願い、私たちは子孫の繁栄を願う、
これが宗教心であり、信仰心であり、人間としての本能でもあります。
人間の創造力には、私たちの図り知ることの出来ないほど
膨大なエネルギーがあります。
そして、そのエネルギーをどのように使うのかは
私たち一人ひとりに任されています。
すなわち、私たちは創造力という自分自身の潜在意識を自由に操ることで、
未知への挑戦を可能にして成功を手にすることが出来るのです。
そして、その成功の鍵は私たちの強い信念と工夫です。
私たちが「宗教」という言葉を使うとき、
とても慎重になるのは何故でしょうか。
もとより、私たちは生まれた直後から、
親や親的な役割をしてくれた人たちを通して
信仰心を教えられます。
その信仰心が宗教心につながっていくようです。
智鶴がここで言う「信仰心・宗教心」とは、
「ご先祖様を大切にする、ご先祖様を敬う」
という意味です。
日本人として生まれた私たちは、
亡くなったご先祖様は神様、仏様になって、
私たち子孫を守ってくださっていると教えられていますので、
ご先祖様である神様や仏様に感謝し、敬うことは、
とても大切なことだと思っています。
そしてまた、このような思いが自然と身についています。
しかし残念なことに、この宗教心を自身の煩悩のために
巧みに操る人がいることもまた事実です。
人と人との間に絆があるように、魂と魂の間にも絆があります。
私たちは、他人との絆を大切にして生きていますし、生かされています。
同じように、私たちは魂の絆を大切だと考えながら生きている人もいます。
そしてそれは、「ツインソウル」とか、「ソウルメイト」、「ソウル(スピリチュアル)ブレーン」、
などと呼ばれています。
ただ、人と人との絆については明確な理由があるので理解できるのですが、
魂と魂との絆には、明確な理由がないので、人間の脳で理解することは不可能です。
そして魂の絆は、ただ何となくひかれてしまうと言いますか、
あるいは、ご縁があってとでも言うのでしょうか、
とにかく、人間界の言葉で表現することが不可能なものだと思うのです。
日本は八百万の神といわれるほど、沢山の神様を祭っている国です。
ですから、一口に神様や仏様の祭り方といっても、
多種多様な方法があって、語ることは難しいのが現状です。
ただ、一つだけ言えることは、
私たちのお祭りする想いが大事であるということです。
智鶴は、宗派が違うからとか、神仏が違うからだとかではなく、
神様や仏様を大切にするという想いは万人共通だと思うのです。
日本人として生まれ、日本人のDNAを受け継ぎ、
世界中で活躍している私たちは、八百万の神への対応を身に付けているからこそ、
世界中何処で生活をしていても順応していけていると思うのです。
そのような視点から、日本人として生まれてきて、
本当に良かったと思います。
お父さん、お母さん、ありがとうございます。
全てのご先祖様に感謝申し上げます。
私たちは一人で生まれてきて、一人で死んでいきます。
このことから、私たちは本来、孤独なのです。
言葉を変えれば、私たちは素晴らしい勇気を持った存在なのです。
ほんの少しだけ視座を変えることによって、
マイナス思考をプラス思考に変化させることが出来ます。
私たちは、孤独感にさいなまれることがあります。
そのときには是非、自分自身には素晴らしい勇気があるということを
思い出して欲しいのです。
この混迷の社会の中で、生き方は人それぞれですが、
無条件に、私たちが生きていることだけで勇気があるのです。
そしてまた、無条件に、私たちが生きていることだけで、
大切な、大きな存在価値があるのです。
私たちは、私たち自身の創造してきた状況の中で生きています。
必然的に両親の元に生まれ、
必然的に仕事を選択し、必然的に人間関係があり、
必然的にパートナーと出会っています。
そして、その必然は今の自分自身にとって最高の状況であり、
最も気高い自分自身を表現する手段であり、
そしてそれは自分自身を創り上げ、また自分の人生をも創り続けています。
このように、私たちは私たち自身の命以外の全てを創造し続けているのです。
私たちは、一体何処へ向かって生きていっているのでしょうか。
魂(スピリチュアル)は、「愛」から始まって「をん(恩)」で終わると言われます。
このことから、「をん(恩)」に向かって生きていくということになるのでしょうね。
智鶴は、魂(スピリチュアル)の始まりや終わりはなく、
ただただ、「愛」=「をん(恩)」だと考えます。
何故ならば、「愛」は神であり、宇宙であり、私そのものである。
「をん(恩)」は、「感謝」という言葉に代えて表現すると、
「感謝」は神であり、宇宙であり、私そのものであるからです。
つまり、この「愛」と「感謝」は魂(スピリチュアル)そのものであるからです。
そこから、魂(スピリチュアル)には一瞬一瞬がスタート地点であり、終着点でもあると思うのです。
私たちは何処かへ向かって生きていっているということではなくて、
今、ここがあるのみだということになるのです。
ただ、向かっているとすれば、今ここで瞬間的に完結してしまっているということでしょう。
智鶴は、この地球上に存在する全てのものに、
それぞれの小宇宙が在ると思っています。
たとえそれが静であろうと動であろうと、
微であろうと超であろうと、
小であろうと大であろうと、
全てのものには生命が宿っているのです。
それは、使用できるような状態にするために欠かせない
一つの部品として存在するかもしれません。
それは、それ自体を使用するものかもしれません。
ですが、それが何であれ、それがその通りに存在するためには、
沢山の時間と沢山の部品と、沢山の人の手が加わっていることは事実です。
地球は物理的にある一定量を超えると、自身が変動を起こし、
浄化作用を始めると言われています。
その浄化作用には、色々な手段が用いられるようですが、
例えば、地震や天候悪化に伴う自然災害、人的災害など、
偶然を装う必然の出来事です。
智鶴は、地球温暖化による人的災害、異常気象などもその一つと
考えてもいいのではないかと思います。
このような状況から、
地球が変動を起こすという見方をしていますが、
一方では、私たち人間が変動を起こしているという見方があっても
いいのではないかとも思うのです。
D・カーネギーの有名な著書に「道は開ける」があります。
私たちは煩悩の全てを開放し、自分自身を神に委ねることによって、
私たちの人生の道が開けるということが、実例を下に書かれています。
私たちは、とても辛い状況に陥ったとき、
えてして神頼みをすることがあります。
いいえ、神頼みをする人が多いように思います。
中には、全てはなるようになるという言葉で、
自分自身を開放し、神(宇宙)にお任せするという人もいるでしょう。
魂には欲求があるのでしょうか。
どちらかというと、心や肉体には私たち自身のオリジナルの欲求があります。
その欲求を満たすことができれば、私たちは満たされた瞬間、
あるいは、しばらくの間、満足感を実感することができます。
そしてまた次の欲求が生まれます。
このように、心や肉体の欲求には終わりがありません。
一般的に命を守るという言葉がありますが、
命を守るということはどういうことなのでしょうか。
命を守るためには何が必要でしょうか。
基本的には食料と水ですが、
智鶴はいくら考えても、その答えは出てきません。
何故ならば、智鶴は無意識の部分も含めて、
自分の命の守り方は自分が一番良く、詳細に分っていると考えているからです。
私たちの魂や心身の成長に必要なものは、私たち自身の状態によって変化します。
自分が、今、どのような状況に置かれていて、
自分の心身がどのような状態にあるのかをしっかりと見つめて、
今の自分に必要なものを判断します。
そして、私たちに必要なものは、常に私たちの目の前に準備されています。
後は、自分が掴むだけの状態にしてあります。
あなたは、自分がどのような言葉を使って日常生活を送っているのかについて
考えてみたことはありますか?
私たちが使う言葉の一言一言は、自分自身の性質を表現しています。
自分はどのような人間なのかを他人に対して表現しているのです。
そしてそれは、他人に対して自分の印象を与えるものです。
自分の心身の状況変化に気づくこと、これは自分自身の大きな能力の一つです。
例えば、自分の身体的な変化に対しては、電子器具や目視によって確認することが出来ます。
しかし、自分自身の心身の状況を確認するとなると、
それを確認するための物理的で有効な手段は無いに等しいと思われます。
しかし現代において、心身の変化を電子機器によって測定するという、
人間の無意識を補うための機器も開発されて、
色々なセラピーに使用されていることは事実です。
私たちは、何かにチャレンジしているとき、
生き生きとした表情で、時間の経過も忘れて、
目の前のことに没頭しています。
その時間というのは、実に有意義な、充実した日々だと感じています。
本物の幸せを無意識に満喫している自己実現の時間だと思います。
私たちの毎日には沢山の現象がありますが、
その中でも、自分が窮地に陥ったという現象について、
私たちは自分自身でピンチと名づけることがあります。
では、あなたはピンチに陥ったとき、何処を見つめますか?
ピンチという名の目の前の現象ですか?
それとも、ピンチという現象の裏の実在に視座をおきますか?
智鶴は、本来、ピンチという現象はないと考えています。
私たちの目の前には常に神様から与えられた気づきという名の
チャンスがあるだけです。
「死」に対する沢山の考え方がある中で、
智鶴は基本的に2つの見方があると思ってきます。
それは魂の視座から見た「死」と、人間の視座から見た「死」です。
まず、魂から見た「死」についてですが、
魂は死にません。
魂に「死」はありません。
魂に「死」があるとすれば、それは神または愛の世界への帰還です。
私たちはよく「あるがまま」という言葉を使いますが、
この「あるがまま」って一体どのような状態のことを言っているのか
考えてみたことはありませんか?
智鶴は改めて、この言葉について考えてみました。
あるがままとは、手を加えていない、自然なという意味を想像します。
魂は、私たちという肉体を通して、一瞬一瞬、膨大な体感をしています。
そしてその体感は私たちの魂を成長させます。
ある時期に一緒に過ごした人たちも、
しばらくすると離別、死別することがあります。
あるいは、自ら望んで旅立っていく人もいます。
これは全て必然の出来事です。

私たちにとって、待つということは、これほど難しくて、忍耐の要る作業はありません。
智鶴の言う「待つ」とは、期待をしないということです。
ここには期限はありません。
何時まで待てばいいのかという期限がないのが、次の不安を生むのです。
期限付きの忍耐であれば、ある程度、我慢も出来ます。
しかし、期限がないということほど、不安定な状態はありません。
目標となる期限があるから、ある意味、私たちは頑張ることが出来るのです。
ですから、ここで問われるのが、魂の器量なのです。

これは私たちにとって、とても難しい言葉です。
「吾、唯、足るを知る」
なんて言われても、ぴんと来ない人も多いかと思います。
自分は今ここで、全てに満たされていることを知っているということです。
この混迷の社会の中で生きている私たちにとって、
煩悩はぬぐいきれるものではありません。
認めてもらいたいという欲求から、
私たちは物質的な欲を満たそうとして、
一生懸命に働いて、欲求を追求し続けながら生きています。
逆に、それが生きるエネルギーとなっているのかもしれません。
それでは、魂の視座から考えてみると、どのように解釈されるのでしょうか。
出会いとは、主に人と人との出会いをまずイメージしますが、
智鶴は、本来、出会いとは自分以外の全ての実在に対して解釈されるものだと考えています。
よく言われるのが、一冊の本との出会い、一匹の犬、あるいは猫との出会い、
道端に咲いている野花との出会い、砂浜にある一つの石ころとの出会い、
ある鄙びた神社との出会いなどなど、例を挙げれば限がないほど、
よく考えてみれば、沢山のことが語られていますよね。
私の命は私のものであり、私の命は私たちのものでもあります。
私たちは人間として個々の肉体を与えられているから、
命は個人のものと捉えてしまいがちなのです。
そしてまた、智鶴が何時もお伝えしていることですが、
私たちは生まれた瞬間から、死というゴールに向かって
命を削って生きています。
一刻一刻が命だということです。
智鶴は神様から、
「そなたの居場所は何処なのかを確認せよ」
というメッセージをある日突然、瞬間的に受け取りました。
「居場所」って何だろう?
神様は、どの場所を指しているんだろうと考えさせられました。
そこで、たどり着いた答えは、
「居場所」というのは、「心の居場所」という意味であり、
要は、あなたはどのような心の世界で生きていますか?
ということを教えてくれた、あるいは、
神様が智鶴の心の修正をするための気づきを下さったというふうに捉えてみました。
今、智鶴の目の前にはチャンスがあります。
今にも手の届きそうな場所にチャンスがあるのが、
はっきりと見えています。
このチャンスをどのようにして自分の手中に収めるのか・・という、
ある意味で、神様から試されている最中でもあります。
この状況をどのような方法で通り過ぎるのかについて、
智鶴の手腕が問われます。
私たちは、決断するということに対して、
大きな気負いを持っているように思います。
決断とは、何か大きなことを意を決して決めなければならないと思い込み、
そして、一度決めたことは成し遂げなければならないと思っているからです。
智鶴が考えるに、
決断するということはそんなに大きいものではないのではないかということです。
気づくということ、
これは私たちみんなが望んでいることでもあり、
一方では、とても難しいと感じていることでもあります。
私たちは日常生活の中において、気づく材料が沢山転がっています。
その材料に目を見張るのか否かによって、
私たちの行動が左右されます。
そして運命が転がり、人生が作り上げられていくということになります。
私たちは大掃除という言葉を聴くと、年末の大掃除を連想します。
年末になると、旧年の垢を一掃して、新年を気持ちよく迎えようということで、
自宅や会社の大掃除をします。
では、「あなた、魂の大掃除はしていますか?」
と聞かれると、次に
「魂の大掃除は何時すればいいの?」・・・という疑問が出てきそうですね。
智鶴は、魂の掃除は何時でも出来ると考えています。
この受け入れるということを智鶴のスピリチュアル的に解釈すると、
「ふ~ん」という一言に尽きます。
これは高度なテクニックでもあるんですよ。
何故ならば、心理学で言う「判断しない」という裏付けがあるからです。
この「ふ~ん」という返事は、良いとも悪いとも判断していないですよね。
優れているも劣っているとも判断していません。
ただただ、目の前に在る事実に対して、あるがままにみるというだけで、
それ以外に何もありません。
私たちは、瞬間瞬間、何らかの責任をとりながら生きています。
責任をとるというと、何かとても大きく感じてしまうものですが、
考えてみれば、中には、自分が責任をとっていることを気にも留めないくらい、
無意識に行動しているものもあるんですね。
迷いとは、人間だけに与えられた特別な感情です。
動物、植物にはありません。
そもそも、動物や植物には感情というものはありません。
もしも動物や植物に、この迷いという感情があるとすれば、
動物は、自分の命を守るために十分な食料を得ることはできませんし、
植物は、気温の変化に応じた、季節の美しい花を咲かせることはできません。
「どうしよう。本当にこれでいいのかなあ?」
なんて考えながら獲物を捕らえたりしていると、
狩をするはずの動物自身が獲物になってしまいますし、
季節の植物自身も、美しく咲くはずの時期を逃してしまって、
鮮やかな色に咲くはずの花が、色を薄めてしまいます。
「人生」という言葉は、とても重く受け止められがちだと思いますが、
実は、とても簡単な、分りやすい表現があります。
人生はジェットコースターのごとく・・・なのです。
ジェットコースターのコースには、急な上り坂もあればなだらかな下り坂もあります。
右の急カーブがあれば、左の緩やかなカーブもあります。
同じように、人生いろいろな坂があります。
ジェットコースターは、色んな坂が組み合わされているほうが
スリル感を味わえて楽しいものですよね。
人生も、楽しいことがあれば苦しいこともあります。
私たちの今日は明日を創ります。
言い換えれば、私たちの「今を生きる」ことが明日を創造します。
そして、その延長に未来を創造することになります。
もしも、あなたが未来に対する不安を抱いているのであれば、
それは、私が今を生きているということを意識すること、
つまり、自分の足元を確認しながら生きていくということです。
ですから、足元を確認しながら生きるということは、
明日の、未来の自分を創造するための大切なプロセスなのです。

全ては必然の出来事だと言われるように、
私たちは日々、沢山のご縁によって生かされています。
そのことを気づくか気づかないのかは、
私たち一人ひとりに任されていることです。
ご縁とは本当に不思議なもので、
その中でも、自分の意志とは無関係に、突然、
不意をついた形でやってくるのが気づきです。
気づきは日々の出来事に転がっているものですが、
私たちは、どうしても目の前のことに気をとられていて、
あるいは、日々の忙しさにまぎれていて、
よほど自分自身に心のゆとりがあるとき、
言い換えれば、自分が目の前の出来事を受け入れる心の準備が
整っているときでないと気づきに目を留めることは難しいことだと思います。

私たちが食物を食べるとき、肉体は、舌で美味しいと感じて、
硬いものも柔らかいものも噛むことが出来て飲み込みます。
それは喉を通り、胃は消化してくれます。
そして肉体に必要な栄養分を吸収し、
血となり肉となり、そして大腸を通って排便します。
この一連の流れは、私たちの心身の健康を促して、
血液の通った温かい肉体を保ってくれています。
この温かい血液が一生懸命に頭、内臓、手、足を動かしてくれているお陰で
沢山の活動、体験ができるのです。
このように考えると、この肉体は一生懸命に働いてくれていますよね。
私たちの肉体は偉いんです。
本当に感謝です。
「私はあなたであり、あなたは私である。」
「私は宇宙であり、宇宙は私である。」
「私は神であり、神は私である。」
「宇宙は神であり、神は宇宙である。」
つまり、
「私は全てであり、全ては私である。」
「全ては一つである。」
すなわち、
「私は私である。」
「振動の法則」というのがあります。
音や光、熱、磁気など、全ての物質や全てのエネルギーには
振動があるというものです。
同じように、心にも振動があると言われています。
人の心で思ったことは、念波という振動となって相手に伝わります。
これを心の感化と呼びます。
人は他人と関わることによって、自分の運命が他人の運命と相互に作用し合いながら、
お互いの人生を作り上げていっています。
人は他人と関わることで、いくらでも運命を変えることはできるのです。
ここで大切なのは、自分が、どのような空間と時間の中で、誰と出会い、
どのような人に刺激を受けて、自分がどのような反応をするのか、
あるいは、自分がどのような直観を感じ、行動に移すのかによって、
運命は大きく変わり、人生が作られていくということになるのです。
智鶴は、人が自身の直感で感じた価値観を素直に行動に移すことは、
その後の自身の運命を変えていく原因となると信じています。
私たちは、自身の直感が浮かんだと同時に、
それを全く感じなかったようにして打ち消してしまう癖を持っています。
それは、自身が幼いころから身に着けてきた心の、あるいは脳の癖であり、
無意識な行動となっているものなのです。
「全ては必然であり、宇宙は完全である。」
私たちは、神に身体を預けることが、素晴らしい結果を生むということは解っています。
しかし、人間の私たちにとって、全てを神にゆだねるということは
不安なことでもあります。
何故ならば、人間の五感で確認することが出来ないからです。
智鶴は、身体的、心理的エネルギーが帯電し、
ある一定の量になると、どうも爆発するという特徴を持っているようです。
先日も、みなさん、お気づきの方もおられるかと思いますが、
サイトの不具合が生じてしまいました。
幸い、智鶴のスピリチュアルブレーンのメンテナンスの下、
より強力なサイトへ変身しました。
自殺未遂をしたAさんが、カウンセリングに訪れたとき、
「これも運命だったのかなあ?」
と智鶴に言いました。
智鶴は、「そうですね。」と答えました。
霊が(とり)憑きやすいという相談が増えています。
相談者の訴える主な症状としては、肩こり、不眠、不快感です。
このような身体的な訴えに対して、
本当に(とり)憑くという言葉がふさわしいのかどうなのかということが疑問になってきます。
霊が見えるようになりたい、霊が見えるという体験をしてみたいという
好奇心を持っている人は多いかもしれません。
その好奇心はとても大事な生命エネルギーだと思います。
ただ、その好奇心あまりに危険な行動に陥ることもあるかと思われますので、
その部分には十分な注意が必要であると申し上げておかねばなりません。
肉体的な病は全てが必然で、そこには大きな意味が隠されています。
軽い病から外科的な処置が必要な病まで、
肉体的な病には軽い状態から重症な状態まで様々です。
夢を叶えるために、私たちは一生懸命に頑張ろうとします。
その頑張り次第では、夢を叶える人と諦めざるを得ない人に
大きく分かれますね。
ではなぜ分かれてしまうのでしょうか?
私たちの人生は、「愛」で始まり、「恩」で終わります。
これは五十音の「あ・い・う・え・お」から始まり、
「わ・を・ん」で終わることから解ります。
「あい」から「をん」と言うことなのです。

人の魂がこの世に生命を受けてまず出会うのは母親です。
その出会いが次の出会いを呼び、
それからめまぐるしく出会いの渦が待っています。
魂は一瞬一瞬、人と出会ながら命を体験し、成長し続けています。

智鶴は、父母からの依頼で新しい命に名前を選ばせていただくことがあります。
その際、智鶴が大事にしていることがあります。
それは「つける」ということではなく、「選ぶ」ということです。

時は金なり、時は命なり。
私たちの人生は、おぎゃ~と生まれたまさにその瞬間から死を迎える瞬間に向かって
時間を刻み始めています。
言い換えれば、私たちは死の瞬間に向かって命を刻んで生きています。
「因果」という言葉があります。
「因」とは種ということです。
箱の中に大きいという文字が入っています。
種は種以上の大きさになるということなのです。
「果」とは実を表しています。
以上より、「因果」とは、種と実ということになります。
智鶴は、クライエントの魂が輝いた瞬間、この上ない歓喜を感じます。
クライエントの目が輝き、顔色に赤みが増し、柔らかい表情になる。
魂のそこから湧き上がるエネルギーが命を燃やす瞬間です。
あなたの魂(スピリチュアル)の音は聞こえていますか?
混迷の社会に生きている私たちは忙しさに紛れ、ついつい自分自身を見失いがちに
なってしまいます。
智鶴は、魂(スピリチュアル)には音があると感じています。
魂(スピリチュアル)の音は命そのものだと考えています。
じ~っと耳をすませてみてください。
あなたの命の音が聞こえませんか。
私たちのスピリチュアル(魂)には素晴らしい価値があります。
その価値を見いだせなくて悩んでいる人がなんと多いことか。
私たち一人一人のスピリチュアル(魂)は、
あなたが人間として生きているだけで素晴らしい価値があるのです。
ここに条件は必要ありません。
相田みつおさんの言葉に
「人の世の幸不幸は人と人とが逢うことからはじまる。よき出会いを。」
とあります。

智鶴は自身の肉体を取り巻く「気」を見るとき、神意識を感じます。
もやもやと立ち上る、まるで蜃気楼のような「気」。
時には目が回るような勢いで、もうもうと煙のように立ちのぼり、
智鶴の肉体を覆っています。
そして智鶴の肉体の周りを廻っています。
これが心身の健康をつかさどっているのです。
智鶴は愛には二種類あると考えています。
優しい、思いやりのある愛・・・これをソフトラブと言います。
強くて、厳しい愛・・・これをハードラブと言います。
どちらにも共通して言えることは、深い愛があるということです。

「私は何のために生きてきたのでしょうか。」
「私の生きる使命は何なのでしょうか。」
という相談を非常に多く受けています。
私たちの魂は、愛を感じたくて、人間の肉体をまとって
生まれてきているのです。
自殺とは、とても悲しい悲しい出来事です。
しかし毎年、約3万人の人が自殺をしてるのが事実です。
自殺者の家族、近親者にっては耐え難いほどの衝撃で、
心の回復を図るためには、かなりの時間を要します。

私たちの感性が成長する途中において、必ず体験する状況があります。
その状況が訪れた時に、智鶴は必ず
「おめでとう!!」
と伝えます。
ではどのような状況を体験するのでしょうか?
むかつき、下痢、頭痛、だるさ・・・
人によって症状の違いはありますし、重さも違います。
いずれにしてもこのような何らかの身体症状が現れます。
しかも突然に。何の前触れもなく。
身体症状が出た人は戸惑いを感じて当然なのです。

人は、他人を癒すことで自分自身が癒され、生きていける人と、
悲しいかな、人を傷つけることでしか生きていけない人がいます。
智鶴にとって、相談を受けるということは最高の喜びであり、歓喜です。
だからこそ、智鶴を必要とする人に対しては、
クライエントの問題解決のために最善の手段をとることをモットーとしています。
そのために、クライエントが抱えている問題について一番有効な問題解決手段を選択し、
駆使し、提供していくことを最高の喜びとしてカウンセリングを行っています。

Aさんは、とても真面目な人です。
第1回目は心理カウンセリングを実施しました。
Aさんはカウンセリングの途中から咳が出始め、
咽喉もとの違和感を感じながら一生懸命に、
私たちのインタビューに答えて頂いてカウンセリングを終了しました。
終了後、智鶴は
「咳が出始めたということは、心理療法をする良いチャンスです。
今度は心理療法をして感情を解放しましょう。」
というお話をしました。
2週間後、第2回目のカウンセリングを実施しました。
魂が成長する時、人はどん底に落ちます。
明日はないというほど、落とされます。
しかし、ちょっとだけ目を横に向けると、
そこにはちゃぁ~んと助け舟が用意されています。
あとは、あなたがその助け舟に乗るか乗らないかの選択次第です。

智鶴は、よく相談者の方から前世を診断してくださいと依頼されます。
前世、あるいは過去世とも言います。
診断する時、必ず付け加える言葉があります。
「あなたの前世の課題は前世時代にすでに終えています。
ですから、あなたは今世に生まれてくるときに、
今世の人生を自分で選んで生まれてきたはずですから、
自分自身の人生を楽しむことが大事なんですよ。」
とお話します。

Aさんは、これまで数回の心理カウンセリングを受けていて、
何度も過去世を経験していました。
その日も、
「胃がむかつきます。インナーチャイルドが動き出しているのかもしれないので
カウンセリングをお願いします。」
と連絡をしてきました。
あなたが感性を高めると、感性の中の「霊性」「霊格」と言われるものが高まってくるのです。
ということは直感力が高まってくるということです。
ただし、誤解は禁物です。

過去世に興味を持つ人は多いと思います。
しかし、智鶴は、興味で過去世療法を申し込んで来られる方に関して、
お断りしています。
なぜならば、相談者にとって、一番必要な過去の場面に到着しないからです。
智鶴は
「感性を高めるためにはどのような行動をすればいいのでしょうか?」
という質問をよく受けます。
人によって、心理的な問題を抱えていても心理カウンセリングを
受けた経験がないので怖い。
どちらかというと、スピリチュアルカウンセリングに興味があるので
受けてもいいかなぁ~・・・。
・・・ということからお問い合わせを頂く場合があります。
智鶴はどちらを受けても良いと考えています。

私たちの右脳は顕在意識。
これは理解する能力です。
人間の5パーセントをつかさどっていると言われています。
私たちの左脳は潜在意識。
これは直感力、想像力です。
人間の95パーセントをつかさどっていると言われています。

暑中お見舞い申し上げます。
毎日毎日、蒸し暑い日が続いていますが、
みなさん、いかがお過ごしでしょうか。
熊本市では、8月8日~9日にかけて「火の国祭り」が開催されます。
8日には花火大会、9日には「おてもやん総踊り」が催されます。
蒸し暑い熊本の夜を吹き飛ばせっ!!という勢いで、
熊本市民が総出で楽しみにしているお祭りです。

最近、毎日のように殺人事件のニュースが報道されます。
加害者は悲しすぎるから殺人へつながるのでしょうか?
怒りが大きすぎるから殺人へつながるのでしょうか?
不安が大き過ぎるから殺人へつながるのでしょうか?
とても極端な行動だと思わざるをえません。

子どもたちは、待ちに待った楽しい楽しい夏休みに入りました。
皆さん、大人の夏休みは何時頃になりそうですか?
私たちの幼少時、毎日毎日、朝から晩まで友達と外で遊びまわり、
夜になっても遅くまで寝ないで遊んでいたように記憶しています。

私たちの命はどのようにして営まれたのでしょうか。
父母、祖父母、曾祖父母、高祖父母、そしてご先祖様・・・
そして、結婚、離婚、再婚、失踪、死別、自殺など、
少なくとも、一人一人が様々な人生を一生懸命に生き抜いてきた証が今、現在の私の命です。
一人一人が複雑な時代を一生懸命に生き抜いてきてくれました。
とてもありがたいことですよね。
どのように感謝すればいいのかと思ってしまします。

あなたの願いを叶えましょう。
あなたは在りたい自分を想像します。
その自分はどのような言動をするのかを考えます。
そしてそれを実行します。
智鶴の印象です。
「こころ」
何となく暖かい気持ちになります。
「心」
凛とした気持ちになります。
「ココロ」
機械的な気持ちになります。

最近、悲しいニュースが次々に飛び込んできます。
犯罪の低年齢化、自殺、異常気象、そして、大規模の地震など・・・
この世界は一体どうなっていくのでしょうか、どうなろうとしているのでしょうか。

私たち人間の本当の心のことを「本心」といいます。
この「本心」は、仏教では仏性(ぶっしょう)、神道では分御霊(わけみたま)、
キリスト教ではキリストと呼ばれています。

今日は、智鶴にとって世界でたった一人の大事な大事な恩人であるAさんの
心臓の手術日でした。
朝9時に手術室に入り、約6時間の予定と聞いていました。

今日の熊本は雨の一日でした。
先ほど、智鶴の乗った市電が接触事故を起こしました。
20人ほどの乗客がいましたが、幸い、怪我人は出ませんでした。

カウンセリングを受けた後、人によっては「好転反応」が現れます。
一番多いのが眠くなる人です。その他、身体がだるくなる、楽しくなる、心が軽くなる、
すっきりするなど、さまざまです。

身体をくの字に曲げた男の子と出会いました。
「どうしたの?」と聞くと、
「お父さん、お母さんにお前は何をやらせても出来ないダメな子だと言われた・・・」
と話してくれました。
脳の代表的な特徴を一つだけあげるとすれば「変わることが出来る」ということだそうです。
ということは、他人を変えるより、自分が変わったほうが早いというのです。
自分が変われば他人の今までとは違った部分が見えるので気づきが深まり、
他人が変わるというのです。
素晴らしい話だと感動しました。

彼女は彼を愛してるからこそ不安になっていました。
そして、その不安を感じる自分に劣等感や罪悪感で自分自身を攻め続けていました。
「和尚タロット」という記事で、
内面を見つめてみますとお伝えしていました。
その経過を報告しますね。

みなさん、『スピリチュアルブレーン』という言葉をご存知ですか?
日本語で、「魂の仲間」と訳します。
『スピリチュアルブレーン』と出会う瞬間には素晴らしい感動を伴うものです。
人間に与えられている感情のことをスピリチュアル的には
『魂の言語』
と表現しています。
これは、私たちの思考ではコントロールできない、
肚(はら)の底から湧き上がってくるエネルギーのことです。
この社会で生きていくためには、他人とのコミュニケーションは欠かせないものです。
逆に言えば、コミュニケーションがなければ、この社会で生きていくことは出来ません。
そのために、人間は神様から『言葉』という道具を授かりました。
今回はパート3ということで、心理的な問題解決についてお話しますね。
相談者の悩みが心理面に原因があると判断した場合、
心理カウンセリングを行う必要があります。
「今・ここ」に生きるという記事では、
まず相談者の抱えている問題について心理面、スピリチュアル面の
どちらの問題なのかをはっきりと区別すること。
これが相談者の現実的な問題解決の第一歩だとお話しました。
ここからパート2として、実際の心理面、スピリチュアル面の
それぞれの問題を解決していくプロセスとなります。
まずここでは、スピリチュアル面の問題解決についてお話します。

「私の人生ってどうなるんだろう?」と昔はよく思ったものです。
そして何人もの霊能者に尋ねて歩き回ったものです。
どの霊能者もはっきりと答えてくれないことに対して、
とても不信感を抱きながらも自分の人生の答えを求めて、さまよい続けていました。
それが、いつの間にか立場が逆転し、今では相談者から尋ねられるようになりました。

毎年、このお花見の時期になると無気力になり、全てのことに対して無関心になってしまいます。
これではいけないと分かっている、しかし止められないのが「五月病」。
読者から質問が届きましたので、もう少し詳しくお話したいと思います。
『智鶴さんみたいになりたいです』という記事の中で、
『起きている人と頻繁に接触して、同じ部屋で過ごす時間を可能な限り費やし、同じ部屋の空気を吸うことです。』
と書いてありました。
観える観えないは別問題として、『感性を高めたい』と願う人は具体的にどう行動すれば良いのかという質問がきました。

Bさんという女性から、心理カウンセリングの予約を受けました。
Bさんは、数回ほど、心理カウンセリングを受けていた人でした。
その日、
「胃がとても痛いんです。焼けるようにいたいんです。」
と言いながら、ソファーに腰を下ろしました。
みるみるうちに、胃の痛みが増大して、とうとう畳の上にごろんと寝転がりうめき始めたのです。
「ねえ、目を閉じたら映像が見えんね?」
「ぜ~んぜん。見えんよ~。真っ暗よ。」
「え~っっ? ほんと~? なんで~? じゃ~あ~、綺麗な色々な色の光は見えんね?」
「いや~ぁ。」
「じゃあ、目を閉じたら残像は残るよね?」
「うん。でも暫くしたら消えるもん。」
「え~、パソコンの待ち受け画像みたいな映像とかは?」
「ぜんぜん、見えんよ。真っ暗よ。」
「??? ちがう・・・。」
智鶴が人と違う感性を持っていると確信したやり取りでした。
智鶴が、過去世を思い出した時のお話をします。
智鶴は、約15年前、潜在意識活性化のプログラムという講座を共催していました。
その講座の中では、瞑想の時間を20分間設定していました。
智鶴は、いつも生徒さんと一緒にプログラムを消化していました。
瞑想は各々の一番落ち着く型がありますので、室内を暗くして自由な体勢で行っていました。

智鶴は問題の解決手段として、前世療法を使うことがあります。
個別な相談事例をお伝えすることは出来ませんが、
さしさわりのないところでのお話をさせていただきます。

陽徳 とは、
陰徳が人に知られずに行うことに対して、
全ての人々に認められた善行のことです。
陰徳が自分自身の為の徳積みに対して、陽徳は世間の為の徳積みなのです。
これは一見、とても素晴らしい人の行動に見られがちです。
お礼の言葉や感謝状を頂き、人生の誇りとなり代々まで受け継がれていくことも
あります。

霊性を向上させるためにとても役に立つと言われているのが陰徳です。
陰徳とは・・・

悩みやトラブルを抱え込む原因のひとつに「思い込みと偏見」があります。
人生という道を歩く中で、それは知らず知らずのうちに「思い込みと偏見」を積み重ねる事により、
気がついた時には、自分ではどうする事も出来ないと思うほどの悩みやトラブルに発展しているという事があります。
そして、思い悩んで迷いの迷路にはまり込み、仕事、対人関係等、
生活の全てにおいて上手く行かなくなる悪循環を生んでしまうという
歓迎出来ない結果を招いてしまう恐れもあります。
ではなぜ?その悩みやトラブルに至ってしまったのでしょうか、
このケースの場合、

心理学的手法を用い、日常生活に快活さを取り戻すために定期的な面談を通じて行います。
怒り、悲しみ、不安、不満、イライラ、恐れ、劣等感、罪悪感や過食拒食等の依存症が徐々に緩和されます。
また、うつ、神経症、パニック障害等にも効果があると言われています。
私も体験上、多くの方々の回復過程をこの目にさせていただいております。
ただし、症状によっては、心理カウンセリングでは対応できない場合もございますので、ご了承ください。
人は、自らが描いた人生の脚本どおりに生きていく。
人はそれを運命と呼び、宿命と呼ぶ。
運命を変えたかったら、自らが描いた人生脚本を書き替えることが必要になる。