
霊が見えるようになりたい、霊が見えるという体験をしてみたいという
好奇心を持っている人は多いかもしれません。
その好奇心はとても大事な生命エネルギーだと思います。
ただ、その好奇心あまりに危険な行動に陥ることもあるかと思われますので、
その部分には十分な注意が必要であると申し上げておかねばなりません。
智鶴は見るのではなく、みるのです。
つまり、五感で見るのではなく、第六感と呼ばれる部分でみるのです。
とても抽象的になるかもしれませんが、
第三の目と呼ばれる直感でわかるということなのです。
この直感は右脳の感性を刺激することによって、霊性が活性化しています。
もちろん個人差はありますので、程度や時間は人それぞれだと考えてください。
ここで大事なのは、私たち人間には、本来、素晴らしい直感力があるということです。
しかし悲しいかな、私たちは生きていくためのノウハウ、つまり煩悩と呼ばれるもので、
その素晴らしい直感力を煩悩で覆い隠し、使わなくしてしまっているのです。
ですから、智鶴の言う直感力を刺激する、あるいは活性化するということは、
つまり、煩悩を無くすということなのです。
では具体的にどのようにして活性化していくのかということですが、
これは何も修行をしなさいということではありません。
修行は日々の人間社会生活の中にこそあります。
自分自身がどのような煩悩を持っているのか。
言い換えれば、どのような欲求に囚われているのか。
どのような偏見、思い込みの中で生きているのかということを理解することです。
そこから気づきが生まれ、煩悩が一つだけ無くなります。
あなたの煩悩が一つずつ無くなっていくことで、直感力が高まり、
心の自由を得ることができます。
そしていつの間にか、みえています。
あなたは自分の活性化した直感力で、何をみますか?
私たちが与えられた運命をありのままに生活すること、これが修行であり、人生となるのです。
智鶴では潜在意識活性化を目的としたワークショップを開催しています。自分の人生をより豊かにしたい方、多くの方のご参加をお待ちしています。
神様からのプレゼント、それはメッセージと言う名の「気づき」です。それは何気ない一言、あるいは日々の些細な出来事の中にあります。そしてまた、気づくか否かは、私たち一人ひとりの選択に任されています。
自分らしく生きることは、自分のスピリチュアルを大切に感じながら、「好い加減」に生きることです。
私たちは、心の時代を生きることを選んで生まれてきました。ではどのような意味があるのでしょう。
私たちが与えられた運命をありのままに生活すること、これが修行であり、人生となるのです。
自分らしく生きることは、自分のスピリチュアルを大切に感じながら、「好い加減」に生きることです。
私たちは、心の時代を生きることを選んで生まれてきました。ではどのような意味があるのでしょう。
ご縁は、全ての人に、平等に訪れます。ご縁とは人との出会いだけではなく、智鶴は全ての出来事という意味で使います。大事なのは、自分が目の前の出来事をご縁と受け取るのか否かで大きく変わるのです。
私たちは平凡だと感じている日常にこそ、小さな、あるいは大きな気づきは無数に転がっています。いいえ、私たちは自ら創り出しているのです。
私たちが与えられた運命をありのままに生活すること、これが修行であり、人生となるのです。
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自分らしく生きることは、自分のスピリチュアルを大切に感じながら、「好い加減」に生きることです。
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