自殺未遂をしたAさんが、カウンセリングに訪れたとき、
「これも運命だったのかなあ?」
と智鶴に言いました。
智鶴は、「そうですね。」と答えました。
確かに「運命だった。」と表現してもいいのかもしれません。
何故ならば、「運命」は「命を運ぶ」と書きます。
ですから、Aさんは、自分で自分の命を運ぶプロセスの中で、
ある時期、自ら命を絶つという自殺行為を選び、それを実行に移しました。
そしてそれは未遂に終わり、今度は自ら、その自殺行為で負った身体の傷、
心の傷に対する責任を引き受けて生きてるからです。
そして、ここで忘れてはいけない重要なことがあります。
それは、自殺未遂をしたにも関わらず、自らカウンセリングを受けることを選び、
すぐに実行に移したということです。
これは、Aさんが必死で生きようとする行動に他ならないからです。
そのような意味において、今回の一連の行動は、
Aさんにとって「運命」のプロセスの中で必然だったことであり、
命を守った意味が必ずあるはずなのです。
Aさんが生きる意味が必ずあるはずなのです。
ただ、今はそれがみえないだけなのです。
そこには、Aさんのとても大きな、深い存在価値が隠されているに違いないのです。
ただ、今はそれがみえないだけなのです。
Aさんは自殺行為を体験して初めて、自分の命の価値がわかるに違いありません。
カウンセリングを体験して初めて、自分の命の守り方、愛し方がわかるに違いありません。
つまり、Aさんの魂はAさんの心を信頼しているのです。
智鶴はAさんの勇気にエールを贈ります。