
魂には欲求があるのでしょうか。
どちらかというと、心や肉体には私たち自身のオリジナルの欲求があります。
その欲求を満たすことができれば、私たちは満たされた瞬間、
あるいは、しばらくの間、満足感を実感することができます。
そしてまた次の欲求が生まれます。
このように、心や肉体の欲求には終わりがありません。
魂は、私たち自身の欲求を満たし、それを実感し、
私たち自身が満足を感じたことが、
魂の満足感でもあるような気がします。
「心ころころ」と言われます。
心は常に敏感で、常に揺れ動いています。
私たちの肉体も同じように、とても敏感で、つねに身体細胞が活動しています。
一時でも休んではいません。
休んでしまったときは、「死」を迎えたときです。
それが生きているということでもあります。
私たちが魂の満足感を得たいと思えば、物理的な手段は必要ありません。
自分が、今、この瞬間において満足だと感じることができればいいのです。
しかし、心や肉体の満足を得たいと思えば、
たぶん、そこには物理的な手段が必要になってきます。
それは仏教的に表現すれば煩悩といいますね。
煩悩は私たちが生きていくために身に付けてきた手段でもあります。
そう簡単に手放すことができることではありません。
しかし、私たち自身が本心で魂の成長を願うのであれば、
自分の煩悩を手放していくことが必要であることはしかりです。
自分の魂、心、肉体の満足を感じながら、満たしながら成長のバランスを図っていきましょう。
満足感と成長のバランスは大事だと思いますよ。
私たちが与えられた運命をありのままに生活すること、これが修行であり、人生となるのです。
智鶴では潜在意識活性化を目的としたワークショップを開催しています。自分の人生をより豊かにしたい方、多くの方のご参加をお待ちしています。
神様からのプレゼント、それはメッセージと言う名の「気づき」です。それは何気ない一言、あるいは日々の些細な出来事の中にあります。そしてまた、気づくか否かは、私たち一人ひとりの選択に任されています。
自分らしく生きることは、自分のスピリチュアルを大切に感じながら、「好い加減」に生きることです。
私たちは、心の時代を生きることを選んで生まれてきました。ではどのような意味があるのでしょう。
私たちが与えられた運命をありのままに生活すること、これが修行であり、人生となるのです。
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ご縁は、全ての人に、平等に訪れます。ご縁とは人との出会いだけではなく、智鶴は全ての出来事という意味で使います。大事なのは、自分が目の前の出来事をご縁と受け取るのか否かで大きく変わるのです。
私たちは平凡だと感じている日常にこそ、小さな、あるいは大きな気づきは無数に転がっています。いいえ、私たちは自ら創り出しているのです。
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