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智鶴の「魂を観る」とは
「魂を見たことがありますか?」と聞かれたら、みなさんはどのように答えられますか?
智鶴は、「見たことはありません。」と答えます。
そして、「ただ観えています。そして、観ます。」と続けて答えます。
私たちは人間の肉体を持っていますから、
全ての宇宙の万物を五感で感じ取るために、ありとあらゆる手段を尽くして分ろうとします。
それは当然のことだと思います。
しかし、残念ながら、これまでかつて、誰しも魂を「見た」ことのある人は存在しないのです。
魂と火の玉は同じものだと考えている人がいるかもしれませんが、それは全く違います。
「火の玉」は、人間の想念(想いの塊)のことなのです。
魂は人間の五感で感じ取ることは不可能です。
何故ならば、魂は形も無いし、色も無いし、臭いもないし、音も発しないし、触れることは不可能だからです。
では、「観る」とはどのような状況なのでしょうか。
「観る」とは、第六感のことで、「わかる」という状態のことです。
直観、潜在意識、超在意識とも呼ばれているものです。
智鶴は、この潜在意識、超在意識で魂を観ているのです。
一般的にいう不思議体験は智鶴にとって、当たり前のことなのです。
だから逆に、観えない、聞こえないという状態が分らないのです。
智鶴だって人間なんですけどね・・・。
私たちが与えられた運命をありのままに生活すること、これが修行であり、人生となるのです。
智鶴では潜在意識活性化を目的としたワークショップを開催しています。自分の人生をより豊かにしたい方、多くの方のご参加をお待ちしています。
神様からのプレゼント、それはメッセージと言う名の「気づき」です。それは何気ない一言、あるいは日々の些細な出来事の中にあります。そしてまた、気づくか否かは、私たち一人ひとりの選択に任されています。
自分らしく生きることは、自分のスピリチュアルを大切に感じながら、「好い加減」に生きることです。
私たちは、心の時代を生きることを選んで生まれてきました。ではどのような意味があるのでしょう。
ご縁は、全ての人に、平等に訪れます。ご縁とは人との出会いだけではなく、智鶴は全ての出来事という意味で使います。大事なのは、自分が目の前の出来事をご縁と受け取るのか否かで大きく変わるのです。
私たちは平凡だと感じている日常にこそ、小さな、あるいは大きな気づきは無数に転がっています。いいえ、私たちは自ら創り出しているのです。
あなたは魂を見たことがありますか?智鶴は見たことはありませんが、相談者の魂を観ながらスピリチュアルカウンセリングを行っています。
私たちの出来事の全ては必然です。智鶴は、その中でも、出会いの必然について考えてみました。
命には期限があるということについてお伝えします。
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